製材所の三代目として
私、高田豊彦は1971年(昭和46年)3月8日、高田製材所の三代目として生まれました。
子どもの頃から自宅横の工場や資材置場で遊び、夏は材木に寄ってくるカブト虫を獲ったりしました。
小学生になると父の跡を継ぐことを意識するようになり、博多や大阪の貯木場へ原木の検品にでかける父についていくようになりました。
今ではあまり見かけなくなった貯木場ですが、当時は丸太同士を20~30本横並びに紐で結んだ筏が数百枚あり、何千本という丸太があちこちの港で水面を覆いつくしていました。波のない時には岸からボートで筏に渡り、父と一緒に丸太を眺めると、何となく丸太の良し悪しがわかるような気がしました。
検品後の昼ご飯に、寿司など美味しいものを食べさせてもらえるのも密かな楽しみでした。
外の世界、木の世界へ
創業者である明治生まれの祖父、そして父からも家業を継げと言われたことはありませんでしたが、高校を卒業するころ製材所を継ぐことを決意し、広い世界を見て多くの人と交流し人脈を広げることが必要だと考え、東京の大学へ進みました。
大学卒業後、日本の商社のカナダ支店で研修生の空きがあり、カナダのバンクーバーで研修しました。
当時カナダでは原木の輸出が制限されており製材品で輸出することが必要で、日本の木材問屋のため原木の検品、原木を製材工場にて製材する仕事に携わりました。それらを通じて原木を見る目、製材の仕方を磨くことができました。
祖父の質問で養われた目利き
1年半の研修を無事に終え、帰国後その足で祖父と屋久杉原木の仕入れに行きました。以来約5年間、祖父の運転手をしながら原木の買い付けに同行しました。
祖父は原木検品の時、木の色はどうか、節はどのくらい中まで入っているか、皮のところに欠点が隠れていないか、様々な角度から私に質問を投げかけました。
そして最終的に必ず私自身に値決めをさせました。このようなやりとりにより自然と目利き力が養われていきました。
知識と経験を総動員して木を読む
私は材木屋は天職だと思っています。
自然に育まれた木材は人が一人一人顔が違うのと同じように、一本一本姿形や性質が違います。
原木の目利きは真っ直ぐで、真ん丸で、芯が真ん中にあるものを選ぶ。これが父が最初に教えてくれた基本中の基本です。
あとは経験を積むしかありません。経験とは年月の長さではなく失敗の数。失敗を重ねることにより同じ失敗をしなくなり、結果的に成功の確率が高まります。
その木材のクセを読み取り適切にお客様に提供することが私の使命。木の中身は誰にもわかりません。自分自身の知識と経験を総動員して木を読み、思い通りの板が製材できた時はお得意さんの顔が浮かび、出荷するときは娘を嫁に出す時のような感覚になります。
木の成長の足跡に光をあて、活かす
世界にはそれぞれの地域、土地に根ざした素晴らしい木がたくさんあります。それらを紹介し木の恵みが溢れた豊かな生活のお手伝いをしたい。
また、長い年月、数十年数百年かけて育ってきた木には様々な成長の足跡があります。太陽の陽差しを受け、葉をいっぱいに広げ生い茂った枝は節になり、台風など風雨にさらされれば傷つき、虫による攻撃も受けるし、時には山火事にも遭遇します。
このようにしてついた傷は木材としては欠点という言い方をされます。
しかし、傷は欠点なのだろうか?木材の特徴に光をあて、それを活かすことはできないだろうか?木の魅力を伝えるためにはどうしたら良いだろうか?
自問自答を繰り返す中で、何か一つでも良いところがあれば、その「一点」を活かせるところに当てはめてやればよいのではないかと思い至り、素材感溢れる木の魅力が詰まった「大川の家」建築の着想につながりました。
木は人を癒す
木の家は純粋に気持ちがよく、木の家に住むことで私の子どもたちはアレルギーが見事になくなりました。
福島県いわき市の杉板造りの仮設住宅では、通常のプレハブと比べ住民がイキイキと暮らしているといいます。
木造校舎の学校ではインフルエンザの発症率が下がったり、精神的に落ち着いた心身健やかな子どもが多いという実例もあり、オール木造でなくても、壁のクロスを木にする、床や棚を木にするだけでも木の良さは十分に実感できると思います。
また、飲食店や様々な施設で使われる一枚板のテーブルやカウンターは、美しさと共に独特の雰囲気を纏い、人を癒す空間を生み出します。
適材適所、真剣勝負
無垢の木は素材としては決して高くありませんが、加工する職人の減少や住宅の画一化などもあり、住宅や施設などの建造物に無垢の木が使われることが減っています。
傷付いたり暴れている木でも強度があり頑丈なものがあり、素直な木はきれいですが折れやすいものもあります。それらの木の特徴を捉え適材適所に木を使うには、材木屋の木を見る目と、大工、木工所、建具屋など木を加工する手仕事の術が必要です。
日本古来の木の文化を受け継ぎ発展させていくために、今日も一日、木と真剣勝負です。